House 2-4

彼女が帰ってからしばらくの間、僕は眠れずに一人ビールを飲みながら呆けていた。
彼女に使ってもらえなかったピンクのマグカップを無意識に指で弾きながら。

しかし最近の自分はどうかしている。
突然僕の生活に入り込んで来た彼女という存在に、翻弄され過ぎている。
こうして一人でいると冷静に考えられるのに、いざ目の前に彼女がいると、まるで昔に戻ってしまった様な錯覚に陥ってしまうのだ。

何のために魔法界から遠ざかったのか。
わかっている。
わかりきっているのに。
自分の意志とは全く違う何かが僕を突き動かしているような気がするんだ。
だけど・・・。

彼女は一体どうして頻繁に僕のフラットを訪れるんだろう?

5年前。もう一人の親友が、急に彼女と一緒に生活を始めると言ってきた。
卒業前から二人は何となく付き合っていたようだ。
何となくというのは、はっきりと自分に報告があったわけではないからだ。
二人がお互いに、特別の意識を持ってお互いを見ていたことなんて、いくら鈍い僕にだってわかっていた。
それこそじれったいような、イライラする様な気持になった事は何度もある。
だけど、何も告げられていなかった僕は、突然のその親友の報告にただ呆然とするしかなかった。

それまで自分に何も告げてくれなかった憤りと、彼女に対する想いが知らず知らずのうちに膨らんでいた事に対する戸惑い。
気がつけば、自分の力ではどうにも制御できないところまできていたようだった。

なのにこうして彼女の訪問をまったく拒みきれない自分。
男らしく訪問の理由を聞いてみたらいいのに。
冗談めかしたからかいでしか彼女と接することが出来ないなんて・・・。

きっともう一人の親友と喧嘩でもしたんだろう。以前からしょっちゅう言い争いをしていた二人だ。
たまたま僕を見かけて慰めてほしかったんだろう。あの時のような苦しみをもう一度味わう前に、彼女とは距離を置いた方がいいかもしれない。
友人として接していく自信なんてまるでないのだから。

(真剣に他の誰かと付き合ってみようかな・・・)

そうすればきっと、彼女と友人として会う事が出来るようになるかもしれない。
彼女への想いも忘れる事が出来るようになるかもしれない。

「よしっ!」

僕は自分の考えに自分で納得しながらベッドへと潜り込んだ。
この判断がかえって自分自身の首を絞めるかもしれない事を、薄々感じてはいたけれど・・・。


***


その日の会社帰り。
寝不足でフラフラしながらエレベーターホールから一歩足を踏み出した瞬間。

「あら、ハリー。また会ったわね?」

ん?だれ?

「ちょっと何ぼんやりしてるの?私の顔、忘れちゃった?」

・・・いや。忘れてないよ。誰かと思えば・・・、

「やあ、チョウ。」
「大丈夫?目が真っ赤よ。夜遊びばっかりしてるんでしょう?」
「夜遊びじゃなくて、夜更かしだよ・・・。昨日ほとんど眠れなかったんだ。」
「眠れないほど深刻に誰かのこと考えてたの?」

(・・・。)

「やあね、図星なの?私の事でも考えてくれてた?」

いたずらっぽい表情でクスクス笑いながら、僕の体にしな垂れかかってくる。

「あれからちっとも連絡をくれないんだもの。相変わらず冷たいわね?」

そう。
ハーマイオニーと再会するほんの少し前。僕は彼女とも偶然出会っていた。
その時お酒の勢いも手伝って、僕は彼女のアパートで朝を迎えていた。
僕の初恋のその人は、相変わらず綺麗で、わがままで、そしてまだ独身だった。
大人になった僕は、その彼女のわがままも軽くあしらえる様になっていて。
そしてよかったらこれからも自分と付き合ってほしいと告げられていた。
その後すぐにハーマイオニーと再会して、チョウの事はすっかり頭から抜け落ちていたのだった。

「ああ・・・、ごめん。あれから仕事が急に忙しくなってさ。」
「そう?今夜は?何か予定がなければ食事にでも誘ってくれる?忘れてたお詫びとして。」

・・・これからか。今夜は彼女が来るって言ってたし。

「ごめん、今夜はちょっと・・・。」
「そう、残念だけど仕方がないわね。次回は絶対に連絡してね?」

・・・。
でも。
彼女の来るのはきっと9時過ぎだ。チョウと少しくらい食事をしても大丈夫かな。
それに。昨日決心したじゃないか。チョウとなら気心も知れているし、都合よく相手から交際を申し込まれている。

軽く右手を挙げて去っていく彼女の後姿に声をかけた。

「あ、待って。少しくらいなら・・・。夕食くらい御馳走するよ。」


***


その日の夜。約束通り彼女は僕のフラットへやってきた。
チョウと別れて、自分の部屋に戻ったのは結局10時を回っていた。
慌てて帰宅して、シャワーを浴びて一息ついた頃に。

でも、それはいつもの訪問とは若干違っていた。

「ちょっとハーマイオニー・・・。お酒飲んでるの?」

いつもの彼女とは違う香りに顔をしかめながら尋ねてみる。

「あ〜、ハリ〜ぃ。私がお酒飲んでちゃ、いけないの?」

しかも相当酔っぱらってるし・・・。

「ねえ、お水ちょうだい・・」
そう言いながら僕を押しのけ、ソファにドサッと座り込む。

「ちょっと、大丈夫?」
「あら、心配してくれちゃうの〜?優しいのね、ハリーは誰にでも・・・。昔っから。」
「誰にでも・・・ってことないだろ。」

やれやれと僕はキッチンへ向かい、コップに水を入れて戻った。
僕の手から水の入ったコップを受け取ると、しばらくそのコップをじっと見つめている。

「・・・?」

「一人じゃ飲めないー。ハリー、飲ませてよ〜」

何言ってんだか。

「もう!しっかりしてよ。ほら、かして。」
仕方なく僕は、危なっかしい彼女の手からコップを受け取ると、そのまま口元へそっと持っていく。
彼女の下唇にコップを軽く触れさせると、左手で後頭部を支えながら慎重にコップを傾けていった。

「ちが〜うの!そういうのじゃなくって〜。」
「どーいうのだよっ」
「まずハリーがお水を口に入れて〜・・・」
「僕は喉なんか乾いてないからいらないよ」
「・・・飲んじゃダメよ。そのまま私に飲ませるのっ」

・・・それって口移しで飲ませろって事?

「君、相当酔っぱらってるよ。自分が何を言ってるのかわかってる?」
「けーち」

けちって・・・。そう言う問題じゃないと思うんだけど。

「なによ。キスくらいいいじゃない。」
「・・・なに、君は僕とキスしたいって事?水が飲みたかったんじゃなかったっけ。」
「いけない?」

どうも論点がずれてる気がする・・・。
こりゃ相当飲んでるな。

「チョウとは平気で道の真ん中でもキスしちゃうくせに、親友の私とは誰も見てなくてもキス出来ないわけ?ふ〜ん、そう。」

え?

「今夜は私、来るって言ったじゃない。デートがあるならそう言ってくれればいいじゃない。彼女がいるならそう言ってくれればよかったのよ。」
「・・・・。」
「そうしたら私、あなたの部屋になんか来るって言わないわ。」

なんだかとっても理不尽な事を言われてる気がするんだけど。
チョウと会ってるのをどこかで見かけたという事は、容易に想像できた。
だけど別に、僕と彼女が何処で何してようと関係ないだろ。
だって君はもう結婚してるんだし。僕たちはただの友達なんだから。

「・・・ちょっとさあ、勝手な事言ってない?」
いくら僕が彼女を好きでも、何だかすごく腹が立ってきた。

「どうして僕が君とのキスを拒んだことで、そこまで言われなくちゃいけないのさ。確かに君は今夜来るって言ってたけど、何時に来るかなんて言わなかっただろ?それに君に連絡したくたって連絡先なんて知らないし。僕にだって付き合いはあるし・・・。」

泣きそうな顔の彼女を前にして、僕の言い方もだんだん尻すぼみになってくる。

「・・・なんで泣きそうになってんだよっ!?」

「だって・・・」
「だって、なんだよ?」

「・・・・」
どうも僕は彼女のそんな顔に弱いらしかった。
唇を噛みしめて、手はギュッと握りしめられていて・・・。
飲んでいるせいか、怒りのせいなのか、頬はほんのりと赤くなっている。

「・・・ごめん。怒鳴ったりするつもりじゃなかったんだ。」
「・・・・」
「ねえ、ごめんっ!」
「・・・じゃあ、キスして」

そんな顔してキスを強請るなよ。

「どうしちゃったの、ハーマイオニー。」

酔っぱらって、親友である僕に絡んでくるのはいいんだ。
でも、どうしてそんなに悲しそうなんだ?どうしてチョウの事なんか気にするんだ?
そんな事を、彼女の顔を見ながら考えていると、突然。
彼女の両手で顔を挟まれ、身動きが取れなくなったところへキスをされた。
あまりの衝撃に、びっくりして何が起こったのか分からなかった。
目を丸くして彼女の震えるまつ毛を見ていると、何の反応も起こさない僕に業を煮やしたのか彼女も目をあけた。

「もう!!なんなのよ〜」

そう言って僕の体を突き飛ばす。
なんなのよ・・・はこっちのセリフじゃない?
とりあえずここは少し落ち着いてもらおう。
さっきから支離滅裂で僕の思考がついていけない。
キスした感動どころじゃない。

「ハーマイオニー、ちょっと落ち着こうよ。シャワー使っていいから頼むから少し酔いを覚ましてきてくれ・・・」

不満そうに僕を睨みつけていた彼女だったけれど、急にコクンと頷くとそのままバスルームへと入って行った。

僕はそこで大きく溜息をつくと、また寝室へ彼女に貸すタオルとパジャマを取りに行った。
だけど何処で僕とチョウを見かけたんだろう?
あのまま会社の近くのレストランで食事をして、そのまま彼女とはすぐに別れた。
ハーマイオニーは僕の会社なんて知らないはずだし、でも見かけるとしたら会社を出てすぐの時しか思い当たらない。

だけど、丁度いいじゃないか。
彼女に何となくチョウの存在を知らしめておいた方が。
気付かれちゃいけないんだ。この想いは墓場まで持ちこんでやると決めていた。
だからこのまま・・・、彼女には誤解をさせたまま、そのうち疎遠になっていくのを受け入れよう。

でも、急にキスをされたり、思わせぶりな態度で僕を動揺させるのには我慢がならない。
友達としてのスタンスを守りながら、どうしても仕返しをしてやらなきゃ気が済まない。
今夜こそ裸にこの白いシャツを羽織らせてやる・・・と意気込んでみたものの、
やっぱり僕の手には無難なパジャマが乗せられていた。




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